グルジア行第二部(4日目〜7日目)

グルジア行記事第二部

四日目(クタイシ)

四日目は WST 社 のクタイシ行団体ツアーに参加した。

インド人・ロシア人・中国人(?)・サウジアラビア人等計約17人が参加し、案内は英語とロシア語で行われた。

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山道を往く

トビリシ—クタイシ間は高速道路 ს1 が通っているのだが、高規格なのはトビリシ—ハシュリ間までで、それ以後は対向二車線の一般道路である。グルジア国内道路網については https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/89/E_Road_in_GEO.svg を見よ。

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クタイシ市内の大きな交差点

気がついたのだが、グルジアには殆ど信号が無い。都市部には点在するのだが、地方には皆無。代わりに円形交差点がそこかしこにある。

ゲラティ修道院を訪ねた。

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ゲラティ修道院

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ゲラティ修道院からの眺め

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ゲラティ修道院内の扉。アゼルバイジャン侵攻の折、持ち帰ってきたらしい

短パンで来ていたツアー参加者の東アジア人男性は、教会に入る際に注意され、上着でもって脚を隠していた。「No shorts」は性を問わず適用されているようだ。

黒衣に身を包んだ聖職者が白いバンに乗る場面は、日本のスクーターに跨る僧侶を彷彿とさせた。

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仔牛のシチューとハチャプリ

昼食時に日本に留学していたサウジアラビア人がいることが発覚した。帰りのバスは日本語で会話した。

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平原

五日目(カヘティ)

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ボドベ修道院からみた景色

予約時の不安は的中し、客は全員ロシア人で、案内人はグルジア語とロシア語しか話せないツアーだった。

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道中の醸造所でワイン試飲

途中、醸造所に立ち寄り見学兼ワイン試飲をしたのだが、セミスイートのワインは、飲み慣れない私にも飲み易く、お気に入りとなった。アイスワインもあったのでついでに購入した。

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道中のパン屋。これで一ラリ

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ボドベ修道院

ともかく、ガイドはロシア語で解説を行うので、何を言っているのだかさっぱり分からなかった。時々グルジア語で会話を試み、こちらの言うことは通じはしたのだが、しかし、こちらの語彙が少ないために返答が理解できず話が続かなかった……。

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チュルチヘラ(果汁と小麦粉を混ぜたもので胡桃を覆った菓子)

六日目(トビリシ

朝食に緑茶の茶葉が用意されていて驚いたのだが、グルジアでは緑茶も飲むそうだ。

トビリシ国立大学一号館へ向かうつもりだったのだが、よく分からないし、とりあえずトビリシ国立大学駅に行けば良いのではないかと思って移動した(大きな間違いであることには後に気付く)。

とりあえず地下鉄に乗りトビリシ国立大学駅に降りたつと、なんと、そこには、トビリシ国立大学は無かった! この駅名は大学の存在に由来するものではなく、トビリシ国立大学通りがそこまで通っているからであると思われる。

仕方が無いので、トビリシ国立大学一号館へとバスで移動しようとしたのだが、グーグルマップに従うとバスは途中で道を外れてしまい、役に立たなかった。トビリシ交通局の経路案内ページは役にたつがスマホでのユーザビリティが良くない。(今気が付いたのだが、スマホアプリが用意されているので、こちらを使えば良かったようである)

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バス停

なんとか交通局の経路案内ページを使って正しいバスを探しだして乗った。石畳の急坂をバスがウンウン唸りながら登っていき、ようやく辿り着いた時には疲労困憊状態であった。

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トビリシ国立大学一号館(3mはある正扉は今だに使われている)

大学書店に入った所、値段が安すぎて貸出用の金額なのではないかと不安になり、学生と思しき人を捕まえて「本当に買えるのか?」と尋ねようとするも、英語が分からないようで撃沈……。グルジア語に切替えようにも、表現がなかなか出てこない。仕方が無いのでグーグル翻訳を併用しなんとか聞き出すことに成功し、やはり売値であることが確かめられたので、大量に買い込んだ。

帰路、お好み焼き屋台を見つけた。

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ピッコロカフェ横お好み焼き屋台
goo.gl

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ブドウのレモネード

7日目朝(トビリシ

本の博物館に行った。

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最古のグルジア語印刷物(辞書・文法書)

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ベラルーシからの寄贈品だそうである

写本博物館にも行った

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本当に入って良いのか不安になる入口

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ヌスフリ体による写本……格好良い!

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天文学の本
古代ギリシャ語に馴染みがある人ならすぐに六十進数表記による数表と理解し、200までの表記を拾うことができたことであろう。

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ショタ・ルスタヴェリ『虎皮の騎士』

7日目午後〜(移動)

ホテルの人にタクシーを呼んでもらった。フロントの人には「50ラリだけど良い?」と確認されたので、てっきり価格は規定なのかと思っていた所、運転手(アゼルバイジャン人)に「いくら払う?」と訊かれ意味が分からず、日本・グルジア間の旅費の問題と思って謎問答をしたりしてしまった。最終的に「ホテルの人には50ラリだと言われた」と返したら鼻で笑われて、100ラリを吹っ掛けられ、最終的には更にガソリン代として3ラリ余計に請求された(が、混乱していたのでガソリン代分は払わなかった。払った方が良かったのだろうか?)。

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トビリシ空港内免税店

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グルジア語が読めない人には肝腎な内容を伝えない看板

復路は往路の反対で、トビリシ→ドーハ→羽田である。

トビリシ→ドーハ間の航空機で真後に座っていたオッサンはともかく大声で周囲と話し、また、頻繁に自席・床・前席(即ち私の席)を叩きまくるため、振動で不快だった。稀に二分間程停止してくれるが、ああいう人は飛行機に向いていないのではなかろうか(尚、数年前にアメリカ国内線で泣き喚き暴れまくる幼児の前で笑顔を絶やさず耐えざるを得なかったのが思い起こされた)。

ドーハ空港には仮眠室があり、ここで朝まで休むこととした。若干風があるので、毛布か何かを持ち込むことを奨める。

日本行の飛行機の搭乗ゲートの開く時間となり、長椅子に座り搭乗を待っていると、6時間前に見た集団が隣に……! 訊けばラグビー観戦に来るのだとか。

ドーハ→羽田間の航空機では好運なことに煩いオッサンとは離れた席で静かに過ごすことができた。